日光の荘厳-家康公・家光公を祀る
ごあいさつ
日光山は奈良時代の開山から今日まで,1250年余の長きにわたり信仰を集めた東日本有数の霊場です。この間,大きな画期となったのが江戸幕府の初代将軍徳川家康公をお祀りする東照宮(当初は東照社)の鎮座でした。いまから約400年前,徳川家康公が元和2年(1616)にお亡くなりになったちょうど一年後のことでした。
戦国時代に小田原北条氏の味方したことを理由に,豊臣秀吉公からほとんどの領地を没収されていた日光山でしたが,江戸幕府によって幕府開創の聖地として整備されることになりました。秀忠公の時代を経て,3代将軍家光公の代になると,東照宮を中心にさらに聖地としての偉容を整えるようになります。
寛永13年(1636),将軍として幕府を取り仕切る家光公は,家康公の二十一回忌に臨みます。この二十一回忌を機に,家光公は日光山内の堂社のほとんどを一新,今わたしたちが目にすることができる豪壮な建築をつぎつぎと建立しました。そしてその家光公も,祖父家康公のそば近くに眠ることを遺言し,大猷院にお祀りされています。
家康公の御忌日が旧暦4月17日,家光公の御忌日が同じく旧4月20日。家康公と家光公のお祀りが続くこの時期,家光公そしてその家臣たちが贅をこらした日光の荘厳をお楽しみいただければ幸いです。
令和 4年4月 輪王寺宝物殿
【主な展示品】 ☆国宝 ◎重要文化財
☆大般涅槃経集解 第41巻 1巻 平安時代
◎鋳銅半肉千手観音像 1面 平安時代
◎徳川家光公守袋・文書 3点 江戸時代
◎紺紙金字法華経(中尊寺経) 8巻 大治4年(1129)
紙本墨書岩に鶺鴒 徳川家光 1幅 江戸時代
東照宮御祭礼図(御祭礼行列図) 1巻 江戸時代
仮名観音経 千代姫筆 1冊 慶安4年(1651)
紙本大猷院彩色見取図 5枚 大正11年(1922)
八代茶壺 1口 江戸時代
日光山の仏像・神像
ご 挨 拶
奈良時代後期,日光山は僧・勝道上人によって開山されています。以来1250余年の歴史を今に伝えて現在の日光があるのです。
その特色として,神仏習合(仏と神は同体)が根底に流れるものであり,男体山・女峰山・太郎山を御神体とし,千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音を本地仏(本来の仏の姿)として,物心両面の祈りが行われてきた霊場です。
そのお姿を表現した古来の尊像には,まさに両面性が体現されています。そして鎌倉期,江戸期へと時代が移り,徳川将軍・家康公が神として鎮座され(本地・薬師仏),子孫の家光公も大猷院(本地・釈迦仏)に鎮まります。仏教の儀軌(形式規則)に則った姿にはなっていますが,「山」と「神」と「仏」の奥深いつながりは,日光山の風景と空気のすがすがしさの中に流れ続け,神仏として祀られる霊地としてあり続けています。
日光山を散策して,日本人の感性の中にいつも息づいている物を感じていただく一助となれば幸いとするものです。
令和4年4月 輪王寺宝物殿
【展示品】 ◎栃木県指定文化財
木造僧形半跏像 1軀 平安時代
木造菩薩立像 1軀 平安時代
木造十一面観音立像 1軀 元禄6年(1693)
◎木造薬師如来坐像 円空作 1軀 江戸時代
◎木造不動明王坐像 円空作 1軀 江戸時代
次回展示予告 2022年 6月17日(金)~ 8月16日(火)
幻の寺院 寂光寺