日光の信仰と瀧尾山
ごあいさつ
奈良時代に開創された日光山は,男体山(本宮)・女峰山(瀧尾)・太郎山(新宮)の三山を神体とし,それぞれに千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音を本地仏(仏としての本来の姿)とする日光三所権現の信仰を特徴とします。
勝道上人が最初に庵を結んだ四本龍寺(本宮)からさらに登った場所にあるのが瀧尾です。弘仁5年(814)に勝道上人の事跡を撰文(沙門勝道歴山水瑩玄珠碑并序)した空海は,日光山を訪れることを決意し,弘仁11年(820)に日光山四本龍寺を訪れ,勝道上人の弟子たちの案内で中禅寺湖の霊場を廻り,瀧尾山や寂光寺などを開いたと伝えられています。
中世になると日本全国六十六国すべての霊場に法華経を奉納する廻国納経が盛んになります。ここ下野国の納経所は瀧尾山とされ,広く信仰を集めるに至りました。
江戸時代,日光山は江戸幕府と天海大僧正とによって徳川家の聖地として見事に整えられますが,それ以前の古い日光山の信仰を伝えるのが瀧尾なのです。
今年は弘法大師が日光を訪れたとされる弘仁11年から1200年を迎えます。かつて瀧尾の阿弥陀堂(本地堂)の本尊だった仁治4年(1243)銘の阿弥陀如来立像を,修理完了後,初めて公開致します。空海を信仰する人びとや廻国行者が目指した瀧尾山の姿を輪王寺の寺宝から探ってみましょう。
令和 2年 8月 輪王寺宝物殿
【主な展示品】 ☆国宝 ◎重要文化財 ○栃木県指定文化財
☆大般涅槃経集解 巻第31 1巻 平安時代
◎鋳銅半肉千手観音像 1面 平安時代
木造阿弥陀如来立像 1軀 仁治 4年(1243)
瀧尾古今図 1巻 元禄4年(1691)
細字紺紙金字法華経 8巻 享禄3年(1530)
銅錫杖頭 1柄 建久2年(1191)
○朝鮮通信使奉 敔 1基 明暦元年(1655)