お知らせ

2024年11月01日法話

『精進努力』

 

輪王寺附属日光幼稚園園長 関口純一

 

 私がお勤めする輪王寺附属日光幼稚園では、日本仏教保育協会が定める仏教の言葉、「徳目」を課題にして子供たちの教育に生かしています。「徳目」は毎月変わるので12種類あるのですが、11月の言葉は「精進努力」です。この法話を読んでくださる方にも、ぜひこの言葉をご紹介したいと思います。

 

 「精進努力」とは、「精進」と「努力」二つの言葉から成り立っています。「精進します。」「努力します。」と言うとき、どちらも同じ意味に聞こえるこれらふたつの言葉に、どのような違いがあるのでしょうか。辞書をひいてみると、「精進」とは、雑念を払ってひたすら仏道修行に励むこと。そのことだけに心を集中して努力すること。「努力」とは、有ることを成し遂げるために力を尽くして励むこと。目標を実現するために、心や体を使って努めること。とあります。共通することは、何かに力を尽くして励むこと。違いは、ニュアンス的なものになりますが、「精進」はひとつのことに集中するという意味合いがあり、「努力」は目標に向かうという意味合いが強い、ということでしょうか。

 

 さて、なんとなく違いが見えてきたところで、私の考えを述べさせていただきたいと思います。「努力しても必ずしも報われるわけではない。」と言われることがあります。一生懸命勉強したけど、合格できなかった。日々練習を積み重ねてきたけど、試合で結果を出せなかった。等々。「努力」が報われてほしいのは常ですが、現実は甘くありません。これもこの世の苦のひとつでしょうか。しかし、仏教では「努力」したことは必ず報われると教えられています。なぜか?それは「精進」という考え方があるからだと思うのです。実は「精進」とは仏教の言葉で、八正道(悟りを開くために、お釈迦様の説かれた八つの修行)の第6番目であり、六波羅蜜(仏道を志したものが行うべき六つの善行)の第4番目でもあります。仏様の教えですから、精魂込めてひたすらに進むことなのだと思います。「努力」が目標に向かっていくものならば、「精進」とは、微塵の言い訳もないように自分の内面に向かっていく「努力」なのかもしれません。

この「精進」の考え方を持ち込むと、「努力」の結果だけでなく、過程が輝きを放ち始めます。先のオリンピックで連覇を期待されながらも、メダルを逃してしまった選手が、試合後のインタビューで「成し遂げることはできなかったが、やり遂げることはできた。」と言っていました。この選手の「努力」は、オリンピックという舞台で報われることはありませんでしたが、これからの人生では必ずや報われるに違いありません。

 

大事なのは努力をやめないこと。そのために努力は必ず報われると信じること。子供たちが園に在籍する2~3年のうちに、そのような気づきのきっかけだけでも与えることができるように、私も「精進努力」を続けていこうと考えています。

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