お知らせ

2024年08月01日法話

宝物殿の公開(後悔)

 輪王寺宝物殿館長

柴 田 立 史

                                           

 「博物館」は公開と保存という二つの役目を持っています。この日光山という場所にどのような文化が花開いたかを知ってもらうことと、その文化を後世に永く伝え続けるために必要な建物なのです。

 当輪王寺宝物殿は奈良末から近現代までの寺宝を収蔵し、公開しています。

お寺ですから、仏像・仏画・経典・仏具・宝物・書・画・舞楽装束・奉納品などなど、多岐にわたる品々が納められており、年間6回の展示替えをしています。寺宝のそれぞれが日光山の文化を物語ってくれています。

 たとえば、仏画、よく「軸物」などと言いますが、一本の軸木に本紙が巻きこまれているので、収納スペースとしては仕舞い勝手が良いのですが、展示公開するときには巻いた物を延ばす必要があります。まき癖がついてしまっていると、そこから折れ筋が付いたり、矧がれてしまう事になります。それに日本画系の画像は照明によって色が変色したりします。ですから二ヶ月に一度は展示替えを行う必要があるのです。

 ですから、展示することで劣化しています。展示しなければ日光山の中世や江戸時代の文化の特徴を知ってもらうことが出来ません。私はおよそ40年間展示に係わってきましたもので、色彩が劣化してゆくのを見続けたことになります。ナントモ悲しい思いがあります。

 そうして修理を施すことになるのですが、修理をすると元のように美しく直って来るかと思うのですが、そうとばかりは言えません。おりおり疑問が生じます。

 絵画の修理の行程をネットなどで見ると、こんなにも変化の手が施されるものかと感じます。「綺麗になった」という一言の裏に1年間の修理期間の大変さと苦辛・苦労が重ねられて汚れが取り除かれて、再生したんだなあと感心します。それとともに、同じ修理を何回も重ねておこなえるものでは無いので、結果としては、あと何回でこの絵姿は消失してしまうかもと覚悟しなければならないんだと胸に刻みつけています。展示することで歴史を消耗させているのは私なのだとも思います。

 自分の行った仕事とは、展示という表現と、そして劣化と修復との繰り返し、と見えるのですが、私自身の体もチョット見には成長と劣化を毎日重ねているわけで、その中で自分の為ばかりでは無く、少しは人様のお役に立てる事も出来たのかしらと跡をふりかえると……、今からででも学べるものは取り入れて、残せる物を少しでも長く残してあげたいと願うばかりです。

 

 

TOP