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2022年01月26日法話

女峰山 ~もののみかた~

                                 輪王寺 執事長

                                 今 井 昌 英

 

 

 

 日光の山といえば「男体山(なんたいさん)」をすぐ思い浮かべますが、もう一つ忘れてならないのが日本二百名山にも数えられる「女(にょ)峰(ほう)山(さん)」です。子供の頃から見慣れた風景でしたが、散歩の道すがら眺めているうちに興味が湧き、調べてみると実に味わい深い山だと知りました。

 

 現在の女峰山は標高2,463㍍ですが、大昔は男体山より遙かに高い山でした。噴火の歴史も男体山よりずっと古く40万年前といわれ、度重なる噴火によって山頂の大部分が吹き飛び、そこに直径2㎞を超える巨大なスリ鉢状のカルデラが出現。その後、果てしない崩壊と浸食が繰り返され、谷奥は氷瀑で有名な「雲(うん)龍(りゅう)渓(けい)谷(こく)」となり、周囲を「七滝(ななたき)崩壊地」や「大鹿落(おおじかお)とし」といった断崖絶壁がとり囲む現在の山容となったのです。崩壊は今なお続いており、山の姿は刻々と変化し続けていることがわかりました。

 

 こうして、「舞台セットのように、平たくて動かない景色」という幼い頃からの女峰山に対する印象は、「常に変化し続ける立体像」へと大きく変貌したのです。

 

 しかし、その全貌は山襞(ひだ)に閉ざされて街中からは見ることができません。「崩壊する断崖の様子や渓谷の雄大な造形美を、何とかこの目で見てみたいものだ」と、望みだけは大きい今日この頃なのです。

 

 そのようなことを考えながら、女峰山から流れ出る「稲荷川(いなりがわ)」に目を向ければ、『あのせせらぎの傍らに鎮座する巨岩も、悠久の時の流れの中でここに運ばれ、たまたま今ここにあるに過ぎない。これもいつしか下流に流され砂粒となってゆくのだろう。それに比べれば自分の一生など泡沫(うたかた)のようなもの。一度きりの人生、くよくよ考えず、せめて明るく生きなくては…』と思い直すのです。

 

 このように、普段から目に入っていながら、気付いていないことは実に多いものです。仏教では、これを『一念三千(いちねんさんぜん)』とよび、「一瞬の心の動きの中に三千通りの見方がある」と教えています。

 

 移動が制限され、人と自由に会えない昨今、ちょっと見方を変えて日頃気付かないことに思いを馳せてみる。これも「今だからこその功徳」なのかも知れません。

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