お知らせ

2021年08月24日法話

「一水四見」

教化部長

菅原道信

 

瑜伽師地論というお経には、「一水四見(いっすいしけん)」と呼ばれる喩えが載っています。

我々は、水を透き通った液体つまり「水」と見ますが、自在に水上を歩く天界の方々からは「ガラス」に、地獄の亡者からは「血の池」に、魚類からは「住処」に見えることから、立場の違いでそれぞれの見方が変わると説くものです。

 

自らを他者と比べれば、生まれた環境や世代の差もあるでしょうし、考え方に違いが生じるは至極当然のことです。

しかし、自分と違うその人の考えを、少しでも理解することが出来れば、信頼が生まれ、お互い助け合うことが出来ます。そして、助け合えば助け合う程、もっと深く、その人の考えを理解出来るようになります。

 

それぞれが違う人格だからこそ、その差違を判ってあげることが必要です。水を眺めるだけで四種類の見方に分かれるのですから、この世の中はさぞかし数多の見方に分かれていることでしょう。

昨今耳目を集める「LGBT」の問題がそうであるように、多様な立場の権利を認めるには「他者への敬意」こそが大切なのです。

 

妙法蓮華経薬草喩品というお経では、仏の教えを雨に喩えて「雨は、小さな植物や中ぐらいの植物、或いは大きな植物すべてを平等に潤す。降った場所、植物の大きさにより差別されることはない。」と説きます。仏の教えの下では、差別無く、皆平等なのだということです。

 

金子みすゞの詩に「みんなちがって、みんないい」という有名な詞があることは、皆さん良くご存じかと思いますが、この詞は図らずも、「仏の教え」を端的に表現しています。

多様なる全てを平等に救うのが「仏の教え」、つまり仏教なのです。

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