日光山 輪王寺とは

日光山 輪王寺 黒門
比叡山「延暦寺」(滋賀県)に「延暦寺」という建物はありません。
山上山下のたくさんの寺院を統合して「比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)」というのです。
「日光山 輪王寺(にっこうざんりんのうじ)」も同じで、日光山全体を統合していました。
明治の神仏分離以降でも本堂・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・大護摩堂・四本龍寺等のお堂や
本坊、さらに十五の支院を統合して出来ており、その全体を指して輪王寺と総称します。

境内地は大きく分けて、地図中央の「山内」(さんない=標高 約630メートル)と、
地図左の「いろは坂」を登った「奥日光」(標高 約1300メートル)の2ヶ所となります。
日光山輪王寺絵地図

日光山について

勝道上人像
日光山は天平神護二年(766年)に勝道上人(しょうどうしょうにん)により開山されました。
以来、平安時代には空海、円仁ら高僧の来山伝説が伝えられ、
鎌倉時代には源頼朝公の寄進などが行われ、関東の一大霊場として栄えました。
江戸時代になると家康公の東照宮や、三代将軍家光公の大猷院廟が建立され、
日光山の大本堂である三仏堂と共にその威容を今に伝えております。

日光の今昔

ozu179x437明治の頃から日光は輪王寺・東照宮・二荒山神社の三カ所が参詣所とされ、それぞれの境内は、いつも賑わっています。しかし、それ以前は「日光山」としてひとつに包括された関東の一大霊山だったのです。

奈良時代の末、勝道上人によって日光山は開かれました。四本龍寺が建てられ、日光(二荒)権現もまつられます。鎌倉時代には将軍家の帰依著しく、鎌倉将軍の護持僧として仕える僧侶が輩出します。この頃には神仏習合が進展し、三山(男体山・女峰山・太郎山)三仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)山社(新宮・滝尾・本宮)を同一視する考えが整い、山岳修行修験道(山伏/やまぶし)が盛んになります。室町時代には、所領十八万石、500におよぶ僧坊が建ちならび、その隆盛を極めます。

江戸時代、天海大僧正(慈眼大師/じげんだいし)が住職となり、山王一実神道(天台宗)の教えで「家康公」を東照大権現として日光山に迎えまつります。「輪王寺(りんのうじ)」の称号が天皇家から勅許され、さらに慈眼大師(天海大僧正)・三代将軍「家光」公が新たにまつられ、「日光門主」と呼ばれる輪王寺宮法親王(皇族出身の僧侶)が住し、宗門を管領することになりました。法親王は14代を数え、幕末に及びました。

明治になり、神仏分離の荒波を越えて現在の「輪王寺(りんのうじ)」があるのです。

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「三仏堂」 保存修理のお知らせとお願い

 三仏堂は、約50年ぶりの大修理が始まり、写真のように一部が仮囲いで覆われたり、通行場所が制限されております。

 皆様のお詣りには出来るだけ支障のない様に進めておりますが、何かとご不便をお掛けすることもあろうかと存じます。なにとぞご容赦の程、お願い申し上げます。