四本龍寺 観音堂

四本龍寺『観音堂』【県指定文化財・世界遺産】

四本龍寺は、天平神護2年(766)、日光山を開山された「勝道上人」(735~817)によって創建された日光山で最初の寺院です。

勝道上人は下野国(現在の栃木県)の生まれで27歳で下野薬師寺において唐僧鑑真和上の高弟であった如宝僧都から戒をうけて僧侶となり、長年修学の後、深い観音信仰のもと、十人の弟子たちとともに日光開山を志します。

天平神護2年(766)32歳のとき、深沙王の助けによって無事に大谷川を渡った上人一行は、東の空に神々しい「紫の雲」が立ち昇るのをみて、この地に小さな草庵を結び「観音様」と「氏神様」を祀りました。はじめは紫の雲が立ち昇ったので紫雲立寺とし、後に音の似ている「四本龍寺」となったといわれています。

上人はその後、四本龍寺を基点として弟子達とともに苦修練行され、天応2年(782)、ついに補陀洛山(二荒山=男体山・標高2486メートル)の頂上を極めます。そして中禅寺湖畔に生えていた桂の大木に千手観音像を自ら刻み「中禅寺」を開創しました。さらに、雨を祈って雲をおこすなど、さまざまな霊験を伝えます。これは、日本仏教の二大教祖である「最澄」「空海」の活躍するおよそ20年ほど前のことになります。

「観音堂」は四本龍寺の本堂で、現在の建物は大同2年(807)、下野国司「橘利遠」が建立したもので、千手観音が本尊として祀られています。4間四方(約8メートル)で、二社一寺の建造物の中では数少ない素木造りとなっています。

なお、このお堂は明治7(1874)年に金剛童子を合祀したので「金剛堂」とも呼ばれ、下野三十三観音巡りの第三番札所ともなっています。

 


案内図

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