憾満ヶ淵

男体山から噴出した溶岩によってできた奇勝で、古くから不動明王が現れる霊地といわれます。川の流れが不動明王の真言を唱えるように響くので、晃海大僧正が真言の最後の句の「カンマン」を取り憾満ヶ淵と名付けたといいます。

晃海大僧正は、この地に慈雲寺や霊庇閣、不動明王の大石像などを建立し、往時は参詣や行楽の人々で賑わいました。元禄2年(1689)、俳聖「松尾芭蕉」も、奥の細道行脚の途中に立ち寄っています。

大谷川の対岸にある巨石の上には、かつて高さ2メートルの不動明王の石像が置かれていましたが、明治35年(1902)9月の洪水で流失してしまいました。その台座ともなっていた巨石には「カンマン」の梵字が彫られていることが今も見ることができます。この文字は日光山修学院学頭で養源院住職であった山順僧正が書いたものです。

「含満」とも書くので「がんまん」と濁って読まれることが多いのですが、命名の由来を考えると「かんまん」と澄んで読む方が正しいのです。


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